食道楽Neo “オーナーシェフ” 萩原 常夫さん(前編)
ダンディ店長を探せ!:Vol.18 食道楽Neo “オーナーシェフ”萩原 常夫さん(前編)
今回ご紹介するのは、柏駅から常磐線各駅停車で1駅!南柏駅から徒歩3分の場所にある、
食道楽Neo オーナーシェフ 萩原 常夫(はぎわら つねお)さんです。
前編では、萩原さんのダンディすぎるヒストリーをご紹介します!
Neoさんは、2018年6月にオープンしたばかり。
世界各国を渡ったシェフの集大成ともいえる、和食やフレンチの枠にとらわれない、
ここでしか味わえない和創作フレンチがいただけるお店です。
萩原さんは山梨県出身。高校卒業後、千葉県柏市内の大学へ進学し、生活の拠点も柏に。
自宅のすぐ近くにあったダイニングバー、Gokan’s Dining【現店名:Gokan’s(五感ず)】でアルバイトを始め、
3年間続けた中で、切ったり炒めたりといった調理の基本は身に付きましたが、
当時はまだ料理人を目指していたわけではなく、なりたい職業は“刀鍛冶”でした。
大学4年生のときに、東京都葛飾区にある吉原一門の工房に手紙を送り、直接話を聞きに行きましたが、
そこでレベルの違いに圧倒され、自分は刀そのものが好きなのであって、作る方ではなかった…と、打ちのめされてしまいました。
同じ頃、父が他界し、大学卒業後は地元山梨県へ帰郷。
悩んだ末、“食べるのに困らないように”と、料理人の道へ進むことを決意。
Gokan’s Dining【現店名:Gokan’s(五感ず)】で教えてもらった、軽井沢のフレンチレストラン、
エルミタージュ・ドゥ・タムラのオーナー 田村良雄氏の著書を読み、“ここで働きたい”と思い、すぐにその想いを手紙に綴りました。
一度軽井沢に来てほしいとの返事があり、初めて話したその日に働くことが決まりました。
そこでは2年間徹底的にサービスを勉強。お客さんは大女優から政治家までさまざまで、常に良い緊張感を保ちながら働くことができました。
働き始めて3年目に入る頃、ミシュランが日本に初めて参入(2007年11月)。
萩原さんは、“本場フランスのミシュランの食文化を体感して、料理修行がしたい”と思い立ち、退職を決意。
資金集めのために始めた地元山梨県での2年間の梱包工場勤務を経て、いざフランス ボルドーへ。
…しかし、仕事が見つからないまま、あっという間に1週間が経ち、所持金もわずかに。
そんなある日、たまたま入った和定食屋のカウンターにいた店員さんに、「料理人を探していませんか?」と尋ねると、
すぐにマネージャーに連絡をしてくれ、そして電話越しに、「明日からお店に来てください。」との嬉しい誘いが。
さらに、住むアパートも紹介してもらうことができました。
こうして和定食屋で働き始めた萩原さんを待っていた最初の試練は、“言葉の壁”でした。
お店で働く料理人は中国人やベトナム人がほとんどで、日本語はもちろん通用しませんでした。
フランス語が話せないこと、理解できないことを笑われる屈辱的な日々。
それでも萩原さんは何とか理解しようと、毎日粘り強く、わからない言葉は聞いて聞いて聞いてを繰り返しました。
そのうち、最初は馬鹿にしていた従業員達も、粘り強さと努力を認めてくれてか、就労ビザを出してあげてほしいと社長に談判するように。
就労ビザが下りるまでの約1年間、地元に戻りジャズバーで働きました。
メニューはあるけれど、基本的にお客さんはその日の気分で、メニューにないものを注文していたお店で、
そのスタイルは、現在、食道楽Neoさんでも取り入れられています。
無事に就労ビザを取得し、ボルドーに戻り、再び和定食屋で2年間働きました。
その後、ボルドーで仲良くなった飲み仲間の日本人料理人の紹介で、ボルドーで初めての炭火焼きの焼き鳥屋で働くことに。
シェフとして、従業員の指導やメニュー考案を任されました。
“売り上げが伸びないと自分がシェフで入った意味を見出せない”と、注文の少なかった砂肝や皮はメニューから外し、目の前にあるマルシェを活かした、新鮮な野菜の焼き物を増やすなど、メニューの抜本的な見直しを行いました。
すると、売り上げは過去最高に。萩原さんのフランス生活も軌道に乗ったかと思いきや、あるとき会社の都合でお店は突如閉店が決定。
気持ちの整理がつかないまま、そうこうしているうちに再び資金は底を付き、
ベビーシッターや包丁研ぎ、知り合いのお店で窓拭きや料理の仕込みなど、あらゆる仕事をして、なんとか生活する日々を送りました。知人の紹介で、モナコのロシア人家庭の専属料理人を務めたこともありました。
あるときふと、ボルドーの飲み仲間が以前、「モロッコでフレンチベースの創作和食レストランをやっているので一緒に働かないか。」と誘ってくれたことを思い出し、“モロッコで働けるかもしれない”との思いで、電話を掛けました。
すると、お店を辞めてイギリスにいたにもかかわらず話を繋いでくれ、経歴を話すとすぐにでも来てほしいとの返答が。
そしてフランスを出て、モロッコ カサブランカへと渡りました。
萩原さんいわく、カサブランカはフランス語圏のため、フランスに留学したことのある、グルメな人がとても多い街。
富裕層も多く、萩原さんの勤務先も、モロッコの王室が利用するような高級和食レストランでした。
近海で毎日新鮮な海の幸が手に入り、本マグロも格安。お寿司のレベルもかなり高かったんだとか。
働き始めて少し経った頃、モロッコのお店を紹介してくれた、飲み仲間の日本人料理人と一緒に働くことに。
この方が以前働いていたお店は、フランス国内の3つ星レストランの中でもトップクラスで、その中でも30~40人いる従業員の中で5人しかいない正社員のうちの1人というカリスマシェフ。
そんな3つ星シェフのテクニックを徹底的に教えてもらうことに。
ただ、とにかくスパルタだったそうで…
―どのような指導がありましたか。
萩原さん「特に味見には厳しかったですね。『塩を入れたら次はスパイスでもって酸味を出す。そうすると味の隙間ができるからもう一度塩を入れる。』とか、哲学がすごくて。でも味見すると確かにその通りなんです。まぁこのくらいでいいかと思って最後一塩入れないで味見をお願いすると、『これでも許容範囲内だけど、あと一歩の攻めが足りない。』なんて言われて。彼にはわかっちゃうんですよね。」
―今の萩原さんの料理に活かされていることはありますか。
萩原さん「彼のおかげで、とにかく基礎が身に付きましたね。ずっと言われていたのが、“感性は良いけど、それに対しての基礎がないからうわべだけの料理になってしまう”ということ。どうしてこの味付けにしたのか、料理概念を説明できないと料理として完成していないんだってことをひたすら言われました。彼に教わって初めて、自分の料理を説明できるようになりました。徹底的に低温調理や真空の使い方も教わって、今でもそれを一番活用しています。特に温度管理は徹底していますね。」
「料理の哲学と計算のレベルが桁違い。たぶん彼の舌=3つ星級なので、当時はとにかく彼を納得させることだけを考えていました。スパルタ指導のおかげで、1年で10kgくらい痩せちゃいました。」と萩原さん。
1年が経つ頃には自分の中でもこれだ!という味がわかってきたという萩原さんは、再び新たな場所で自身の腕をさらに磨くために、
香港の和食レストランでエグゼクティブシェフ(統括責任者)として新メニューの開発や原価計算、在庫管理を経験。
中国 南京の高級寿司店では、フレンチベースの和食の創作にいそしみました。
そして、2018年4月に日本に帰国。
同年6月に、食道楽Neoをオープンしました。
「学生時代にアルバイトをしていたGokan’s Dining【現店名:Gokan’s(五感ず)】のオーナーの紹介で今の物件がタイミングよく見つかって。焦ってオープンすることもなかったんですけど、勢いって大事なので。」と萩原さん。
人生の可能性を広げていくことのできる行動力、逆境に立たされても、常にそこで何かしらを吸収しようという探究心、
臨機応変に対応できる柔軟性、人に教えを乞うことのできる素直さ…これらを兼ね備えた魅力だらけのダンディ店長、萩原さん。
波瀾万丈なダンディヒストリーをもっと知りたい!という方は、ぜひお店で直接聞いてみてくださいね。
次回は、店名の由来やお店の内装、今後の意気込みなど…
ダンディルールズ・ダンディドリームをご紹介します。お楽しみに!(つづく…)
以下、お店の基本情報です。
食道楽Neo (しょくどうらく ねお)
〒277-0855 千葉県柏市南柏1-5-10 2F
☎04-7192-6648
【営業時間】月~土 19:00~0:00
【定休日】日曜日
掲載情報は2018年11月21日の取材時のものです。
掲載内容が変更になる場合もございます。あらかじめご了承ください。
取材・執筆:小島 眸 撮影:児玉 啓